上を見るな、下を見ろ?

人生の学び

本日は知人から学んだことを書きます。

上ばかりではなく、たまには下を見ることも大事だよって話です。

結論としては、生きづらさを感じて何もしたくないって思ったときに「この世には明日を生きたくたって、生きられない人がいる」と考えることで、「自分は5体満足でやりたいことができる。それならやってみるか」と思い直せたという内容です。

※上とか下という言葉は適切ではないと思っています。ご容赦ください。

人が怖くて、行動に移せない】

私は小さいとき(一番古い記憶は新しい幼稚園に転園した日)から人の輪に入っていくのが苦手で、

特に新しく出会った人、知り合ったばかりの人に気後れしてしまいます。

相手の素性が分かっていない状態では「何を言われるかな」「何が相手を怒らせるかな」と考えてし

まい、自分から積極的に話をすることが不得意です。

中でも、騒がしい人、攻撃的な人、人との距離感を一気に詰めてくる人がいると、ドキドキしっぱ

なしで、うまく声が出せなくなり、脳みそは常に一人言でフル回転。

話を振られても、トンチンカンな回答をしてしまい、あとで一人反省会。

しかも、普段仲の良いグループに上記のような人が入ってくるのがとても嫌だと思う。

でも、入ってきたときには嫌われたくなくて、騒がしいその人達にテンションを合わせようと出来

ない努力をしていまい、普段仲の良い人たちに普段言わない言葉を発してしまい、自己嫌悪。

強いエネルギーを発する人たちに引っ張られてしまうんだと分析しています。

それは今でも変わっていません。

この間も、新しく転勤してきた人たちのエネルギーが強くて、何を言われるか怖くなってしまい、

会社を1日休んでしまいました。

知人にその悩みを正直に打ち明け、聞いてもらいました。すると、こんな話をしてくれたのです。

【上を見るんじゃなく、下を見よう】

前提として誰しもがそれぞれ、辛いこと、悩んでいることがあります。

顔には出さない、仕事バリバリやっている人でも、同様です。

騒がしく楽しそうな元気な人も。

話を聞いてくれた知人にも人に話せない大きな、大きな、辛いことがありました。

それは途方もなく辛い話で、聞いていくうちに私は涙を流していました。

(プライベートな、誰にも話さない話をしてくれていることへの感謝も同時にありました)

最後に話をしてくれたことが「○○君、心が強い人、鈍感な人を羨ましく思うだろ? 

なんで自分は何も起きていないことにこんなにビビっちゃうんだろうって。

でもね、この世には明日も生きられるかわからないが人いるんだよ。

下って表現は好きじゃないけど、そういうことを思うと、少しは気が楽にならない?」と。

私は人が怖くて逃げてしまうことがあります。

でも、5体満足で生まれて、やりたいこと(今だとジムで筋トレがとにかくしたい)ができる。

家族はいるし、親友もいる。妻もいる。

会社では嫌なことを言われるし、ドキドキしっぱなしだけど、本当に合わなければ会社を辞めることもできる。

でも明日を生きられるかわからない人はそうじゃない。やりたいことができない。

辛い状況から逃げることができない。

この話をされたときに、自分の悩みは死ぬほど悩むことではないなと。思いました。

もちろん、自分にとってはとても辛いことですが、そこまで思いつめることではないと。

なんだか肩の力が抜けて、周りの大切な人をもっと大事にしたいと思いましたし、

何かあっても、大したことじゃないなって思うことができました。

明日からまた仕事です。正直、行きたくないってこれからも思うとおもいます。

でも、上ばかり見るんではなく、こんな自分にもできることがある。やりたいことがある。

それは幸せなことなんだと。言い聞かせられる気がしました。

客観的に物事を見ることが大事なんですねきっと。

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